話は変わるが、あたしはあたしが生きている限り決して独りではいられないと思っている。
もちろん実質的な独りきりでもダメダメだろうけれど、それ以前に、気持ちの上で支えがなければと思う。
いつでも、必ず心に何かを抱いていなければ生きられない。
それは肉親だったり恋人だったり親友だったり戦友だったりする。
もしくは夢や目標だったりもするだろう。が、できることなら温度のある「相手」がいい。
・・・戦友ってのはオイラの中では「ライバル」だったり「ココロの友」って意味合い。なのかな。
そういう対象を、自分勝手な深い感情でもって抱きしめつづける、執着しつづけることで、「生きていける」のだ、と思う。
抱きしめていたい、というのは、相手をより一層強く感じていたいからだ。
そして、より強くアタシ自身を感じて欲しい、見て欲しいからだ。
感じることで、感じられることで、アタシは幸福感を味わえる。
アタシでなければダメだ、といってくれる相手であるほど、アタシの中の幸せの感度は強くなる。
それが恋人であればなおさら。
すべてを受け入れて欲しい。全身で感じて欲しい。あたしを見て欲しい。
何も要らないから、もっと、ずっと強く求めて欲しい。
切実にそう思うのだ。

私の精神は決して健全なものではない。
健全でなんてありえないのだ。
人を好きになるのに、健全な魂で立ち振る舞えると思う方がどうかしている。
それとも。
それでも、形振り構ってしまうことこそ果たして、「健全」、といえるのだろうか?

相手の目の中にアタシが映っていない未来なんて考えていられない。
病んだ魂にしか、人を思いつづけることできない。
問題になるのは「どれだけ思ってもらっているか」よりも「どれだけ思えるか」。

・・・といった類の話をぐだぐだと電話をくれた相手にしていたらしい。酔ってくだ巻いてるくせに半分記憶残ってるっつーのもかなりイタい話だ。